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イゴールナクの夜

私は神やオカルトといった類とは一切無縁の人生を歩んできた。まぁ、少なくとも自分ではそう思っている。別れた女房が出ていくときに残していった、数えきれないほどの罵倒の中に「この無神論者!」というのがあったから、多分間違いないだろう。

そんな私が、何の因果か帝国妖異対策局とかいう怪しげな組織が出している賞金を狙って、カルト教団の調査を行っているというのは、なんとも皮肉めいたものを感じなくもない。

彼らの情報によると、そのカルト教団は《闇の快楽にて穢れを授けたるイゴールナク》とかいう神様を拝んでいて、その神様のために人間を生贄として捧げる儀式を繰り返しているそうだ。

といっても生贄になるの生娘の美少女というわけではなく、身も心も悪に染まった犯罪者らしい。イゴールナクは、そういう魂まで真っ黒に染まった人間の血が大好物なんだとか。

「それって何か問題か? その神様に生贄をくれてやれば、犯罪者で溢れかえってる刑務所の問題も解決できそうじゃないか。」

そう思って聞いてみたら、どうやらそんな簡単な話でもないらしい。生贄にされた犯罪者は、イゴールナクの眷属として蘇って徘徊し、世の中を邪悪で満たすために色々とやらかしていくのだとか。

まぁオカルトだしかなり眉唾ではある。だがそれでも、俺のささやかな人生体験で十分に理解することはできた。 悪は悪を呼ぶし、邪悪は邪悪を生むものだ。それは間違いない。

カルト教団が怪しげな神様に生贄を捧げている確実な証拠を掴めば、とりあえず今月をしのげる賞金が手に入る。そういうわけで私は、即座にこの案件に手を出した。もしかしたら、私もイゴールナクに呼ばれているのかも知れないなと、ふとそんな考えが頭をよぎった。

それから調査を続けていくなかで、私は教団と深く関わっていたとされる人物が残した情報を手に入れることができた。 それは次のようなものだった。


資料001


ヘンリー・アーミテイジの日記

5月25日 今日もなんとか無事に過ごすことができた。オーベリック街を通り抜けるとき、奴らに見つからなかったのは幸運としかいいようがない。

早くここを引き払って■■■市へ移らなければ……。ここに居る限り、いずれ奴らが私の存在に気が付くのは時間の問題だ。

禁忌なる呪術を統べたるバサタンの秘密に辿り着くことができそうだ。今、奴らにつかまってしまうような事態だけは絶対に避けなければならない。

6月8日 大魔導士エイボンが死の間際に書き残したとされる草稿を入手することができた。まだ完全に解読したわけではないが、その名を囁くことさえ禁忌たるバサタンの召喚について重大な鍵となるものの在処が記載されているようだ。

鍵が何なのかはまだわからないが、それはどうも闇に隠れたる悪の王たるヤス湖にあるらしい。

6月28日 駄目だ! ここはもう駄目だ! 奴らに見つかってしまった。よりによってオーベリック街を抜けたところで、あの不快な魚づらの連中とばったり出くわしてしまった。

旧神の印を持っていなければ、今頃は奴らの冒涜的な祭壇の上で邪神の生贄として捧げられていたに違いない。いずれにせよ、奴らは私の存在を知ってしまった。ここも既に嗅ぎつけられているに違いない。そうそうにここを出なくては……。

6月29日 カーテンを僅かに開いて下の通りを覗き見ると、数人の妖しい風体の男が立っていることが確認できた。最初に、それに気付いてから6時間が過ぎているが、まだ同じ場所に立っていた。明らかかに見張られている。くそっ、こんなに早く奴らが動くとは。こんなことなら、昨日の時点でここを去って置くべきだった。

あれから既に10時間以上過ぎているにも関わらず、奴らは相変わらず通りに立ったままだ。一度、裏口から脱出を試みたが、そこにも数人の魚面共が見張りを立てていた。

とはいえ旧神の印があれば、奴らとて中まで入ってくることはできまい。 明朝、大家にタクシーを呼んでもらい明るいうちにここを立ち去ることにしよう。

夜もすっかり更けてきた。珍しく濃い夜霧が立ち込めている。まるでこの建物だけが世界から分断されでもしたかのように。

霧の向こうに2つの黄色い光が揺らめくのが見える。

いや……あれは何の明りだ? どうしてこちらに近づいてくる?

大丈夫だ。私の手には旧神の印がある……。


資料001 終わり


この資料の最後に、乱暴に殴り書かれた走り書きが残されていた、それは当人なのかそれとも違う誰かのものかわからないが、次のようなものだ。

ンガー! アイアイ! イゴールナク! ギギ! アイアイ! イゴールナク! イゴールナク! ギギ! シャメッシュ! ふんぐるい!

このメモ書きにどのような意味があるのか伺い知ることはできないが、書いた奴が抱えている狂気を感じ取るには十分に酷い筆跡だった。しかも、ちょうど私が今調査している教団が崇める神様の名前が出ている。なんとも嫌な感じだ。

いずれにせよ、この資料の入手元から辿っていくことで、意外にあっさりと教団に関する詳細な情報を掴むことができた。

生贄の儀式が行われていると思われる建物の特定も簡単だった。ちょっとした探偵程度であれば煙に巻けたかもしれないが、教団のセキュリティは、私のような賞金稼ぎにとっては無きに等しいものだった。

2週間ほど張り付いて教団の様子や出入りについて調べた後、最も人が少なくなる月曜日の夜中を見計らって内部へ侵入した。事前の調査で、生贄が監禁されている部屋と地下にある祭儀場については図面で把握している。後は、監禁されている様子を撮影できれば私の仕事は完了だ。

監禁部屋と思われる場所についた。そこには誰もいなかった。嫌な予感がした。もしかすると儀式は既に行われて生贄にされたのか……。私は足を忍ばせつつ、地下の祭儀場へと移動した。あまり望ましくはないが、儀式後の犠牲者を撮影できれば、それでも教団の悪事を掴むことはできる。

儀式場に着いた。小さなロウソクがいくつも灯されており、部屋全体をうっすらと照らしていた。最奥には巨大なイゴールナクの像が置かれていた。そして像の前には、幾つもの……おそらく遺体……が積み上げられていた。

ロウソクの明りが揺らめくせいか、巨大な像は生きているかのように、呼吸でもしているかのように蠢いて見えた。この像は生きている……そんな嫌な確信が私の中で大きく膨らんでいった。

そんな妄想と共に、頭の中にどこかで聞き覚えのある呪われた詠唱が響く。その声は人間の様でもあり、人間ではないものの雄たけびの様にも聞こえる。

ツガー! むぐるうなふ! イゴールナク! くとぅん ゆふ! んがあ! イゴールナク! イゴールナク! いあいあ! なふるたぐん! イアイア!

段々と詠唱が大きくなってくるしたがって、像の邪悪な存在感が圧倒的に強くなってくる。もはやこれが生きているということを否定することの方が難しく思えてきた。

んが=なぐる! あいあい! イゴールナク! いあいあ! あいあい! イゴールナク! イゴールナク! いあいあ! アイアイ! イアイア!

誰だ! 誰がこんな呪われた言葉を吐き続けてやがる! 私が激しくなってくる頭痛と戦いながら部屋中にくまなく目をやる。すると……ありえないことに、遺体の山が詠唱に合わせて細かく震えていることに気付いた。

気付いてしまった。

ありえない! ありえない! ありえない! ありえない! ありえない! 私が考えることができたのはこれだけだった。とてつもない危険を察知して、身体がその場から全力で逃亡を図ろうとしたその瞬間……。

足が……動かない……。

いつの間にか、周りにいくつもの死体が群がり、私をその場にくぎ付けにしていた。 死体の口はどれも動いていないにも関わらず、あの詠唱が彼らの中から響いてくる。

シュグラグ! あいあい! イゴールナク! ンガー! アイアイ! イゴールナク! イゴールナク! ギギ! シャメッシュ! ふんぐるい!

ふと気が付くと、私はあちこちが裂かれ、周りの遺体と同じようなものとなっていた。 不思議なことに痛みは感じなかった。いや、それよりもなんだ?

この魂の奥底から湧き出てくる歓喜!

イゴールナクの恵みを受ける喜び!

もはや口は動かずとも、この魂を持ってイゴールナクを讃えるべし!

ツガー! むぐるうなふ! イゴールナク! ツガー! むぐるうなふ! イゴールナク! イゴールナク! くとぅん ゆふ! んがあ! いあいあ!




イゴールナクの夜

終わり




CREDIT

© 2019 帝国妖異対策局
License: CC BY 4.0


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  • ss001.txt
  • 最終更新: 2019/08/20 16:40
  • by tytman